天皇陛下の3歩後ろを歩いて寄り添われる皇后・雅子様。
今ではそんな姿が当たり前となった雅子様ですが、若い頃は外交官としてバリキャリファッションといわれる装いで働くバリバリのキャリアウーマンでした。
今回は、そんな雅子様の外交官時代やそのファッションなど若い頃についてをお送りします。
さて、雅子様の若い頃とはどのような様子だったのでしょうか。
目次
雅子様の若い頃・ファッションが素敵!
現在の天皇陛下がまだ独身で皇太子殿下であった頃、ある日お妃候補として浮上した若い頃の雅子様。
連日のようにマスコミに追われることになります。
そして、その美貌はもちろんのこと、出勤時に見せたファッショナブルな装いは瞬く間に話題となりました。
若い頃に雅子様がよくお召しになられていたのは「バリキャリファッション」といわれるキャリアウーマンがバリッ!と着こなすファッションです。
そんな雅子様のバリキャリファッションを一部ですがご紹介いたしましょう!
https://twitter.com/yuiyuimayuri/status/879530962396237825?s=20
https://twitter.com/yuiyuimayuri/status/991523463566249985?s=20
https://twitter.com/katyss/status/1123867159753625600?s=20
https://twitter.com/hata624gu/status/1117728574440493056?s=20
https://twitter.com/12_1_iron_opal/status/1071691860584747008?s=20
https://twitter.com/yuiyuimayuri/status/991523463566249985?s=20
いかがでしたか?
現在の皇室ファッションももちろん素敵ですが、若い頃の雅子様もとても素敵ですよね。
雅子様の若い頃・ロイヤルウエディング
外交官、いわゆるキャリアウーマンである女性が皇太子殿下のお妃に?
そのような背景もあり、ご結婚前からかなり注目されていた皇太子殿下と雅子様。
結婚するのかしないのか…国民がやきもきした時期もありましたが、ついにお二人はロイヤルウエディングの日を迎えます。
ご成婚の義は盛大に行われ、パレードが行われる沿道には大勢の国民が。
テレビでもその時の様子を事細かに生中継し、幸せな様子のお二人を映し出しました。
このときの最高視聴率は「77.9%」と驚異的な数字だったといいます。
華やかでありながら慎ましい白いドレスに身を包み、頭上には光り輝くティアラが…雅子様にとてもよく似合いで…。
沿道でもテレビでも、どのような形にせよ国民が見た雅子様のお姿、それはもう「お美しい」の一言。
世紀のロイヤルウエディングといわれたこの日、全ての国民が皇太子殿下・雅子様に注目したのでした。
雅子様の若い頃・ご成婚後の姿は?
ご成婚後しばらくの間は通常通りといいますか、普通に公務をされていた様子です。
雅子様が行くところ、されること…よくテレビや雑誌などにも取り上げられていました。
国民から見るとお元気な様子でしたし、全てにおいて順調な様子で、海外から訪問された方々と通訳を介することなくお話する様子がよく映し出されていたものです。
しかし、しばらくすると雅子様は公の場から姿を消し、「長期療養に入られる」というニュースが国民に知らされることとなります。
雅子様に何が起こったのか…。
それは、ストレスからくる「適応障害」によるものでした。
雅子様の若い頃・雅子様は着回しがうまい!
さて、少々雰囲気が暗くなってしまいましたね。
一旦、お口直しとして、雅子様のファッションについて話を戻しましょう。
今度は、雅子様の着回し術についてです。
雅子様のファッションは「見るたびに違う洋服」と思ったら大間違いで、実は上手に着回されているのをご存知でしょうか。
若い頃に使っていたアイテムをご成婚後にも着用されるのはもちろんのこと、同じ服でも小物でアレンジして違う印象にしてみたりと、本当に上手に着回しているんです。
帽子やスカーフなど小物で違う印象にしてみたり…。
そうかと思えば、ボトムスをタイトスカートからプリーツスカートに変えてみたり!
ちょっとしたことでこんなに印象が変わるとは…。
ありとあらゆる手段で上手に着まわすとは、なかなかお洒落上級者ですよね。
「今日はどんな洋服かな?」と楽しみするのもいいですが、「もしかしたら着回している?」と思って見るのも楽しいかもしれません。
雅子様の着回し術、なかなか奥深いものがありますよ。
雅子様の若い頃の素敵な画像まとめ!
それでは、雅子様の若い頃のお姿を一挙にご紹介しましょう。
ご結婚前の若い頃から婚約内定後、ご成婚後といろいろと揃えてみましたよ。
外交官時代1
https://twitter.com/BaDmtPTu8OuGlu2/status/1186533568358404097
外交官時代2
https://twitter.com/togashi1206/status/851173677215301632?s=20
外交官時代からご成婚後
https://twitter.com/Kacho48/status/1186425767145553920
ご婚約内定後
https://twitter.com/togashi1206/status/859150537933049856?s=20
ご成婚後「朝見の義」にて陛下と
https://twitter.com/mimollet2015/status/1186455525573218304
ご成婚後、佐賀をご訪問中
https://twitter.com/mimollet2015/status/1184001449187041280
ご成婚後、華やかなピンクのドレスで
https://twitter.com/Journalism_3/status/1183678352554512385
美人な上に何とも可愛らしい表情をする雅子様。
チャーミングでとても素敵ですよね。
雅子様の経歴と出身大学がすごい!
よく「優秀である」といわれる雅子様ですが、いったいどれくらい優秀なのでしょうか。
雅子さまの華やかなる経歴と出身大学についてをまとめました。
海外で過ごした幼少期
幼少期の雅子様は、外務省職員であった父親の仕事の関係でモスクワとニューヨークで過ごしました。
1965年9月:モスクワ市立幼稚園No.1127入園
1968年9月:ニューヨーク市立第81パブリックスクール(P.S.81-Robert J. Christen School)付属幼稚園に転園
1969年6月:同園卒園
1969年9月から「ニューヨーク市立第81パブリックスクール(P.S.81-Robert J. Christen School)」入学しますが、1971年3月で日本へ帰国。
日本で過ごした小・中・高校時代
1971年3月に一旦「目黒区立原町小学校」に入学しますが、ほどなくして転校。
1971年4月に「新宿区立富久小学校」に転入します。
その後、1972年3月に再び転校。
1972年4月~「田園調布雙葉小学校」に入学し、1076年に同校を卒業します。
その後、中学・高校はエスカレーター式で「田園調布雙葉」で過ごします。
渡米した高校時代
田園調布雙葉高校に進学した雅子様でしたが途中で渡米するため転校。
1979年9月:マサチューセッツ州立ベルモントハイスクール(2年生編入)入学
1981年6月:同校卒業
優秀な成績を残した大学時代
1981年9月:ハーバード大学経済学部入学
1985年6月:同校卒業、帰国
※ハーバード大学の他にも「エール大学」「プリンストン大学」など名門大学にも合格していましたが、日本で就職するにあたり名前の通った大学にしようということでハーバード大学にしたといいます。
1986年4月:東京大学法学部(3年生編入)
※このときも難関試験で、受験者100名に対して合格者はたったの3名であったといいます。
1987年3月:中退
※在学中に外交官試験に合格したため、中退して翌年より外交官となりました。
その後、1988年9月~1990年6月までを外務省の研修制度として「オックスフォード大学院・ベリオールカレッジ」に留学しています。
以上、雅子様の大学時代を含めた経歴でした。
いやぁ…すごい。
凄まじくいろいろな経験をなさっているのですね。
雅子様と皇太子殿下(天皇陛下)が結婚に至った経緯は?
それはまだ天皇陛下がまだ皇太子殿下で「浩宮様」と呼ばれていた頃。
そして、雅子様はまだ外交官試験に受かったばかりの頃だったといいます。
お二人は、スペインのエレナ女王の歓迎レセプションにて初めて出会ました。
どのような会話だったから分かりませんが、言葉を交わしたそうで、この時に天皇陛下が雅子様に好感をもたれたのだといいます。
それからしばらくして、どこをどう持ってきたのか…公式な発表はなかったものの、日経スポーツが「浩宮様のお妃候補!」として雅子様を新聞掲載してしまいました。
それがきっかけとなり、雅子様は連日マスコミに追われることとなります。
しかし、このとき雅子様はマスコミに対し「自分はこの件に関して全く関係なく、外交官を辞めるつもりもない」ということをきっぱりと言い切ります。
つまり、お妃候補であることを否定されたわけです。
しかし、それからしばらくして雅子様の名前が再浮上。
宮内庁などからの働きかけもあり天皇陛下(当時は皇太子)に再会することとなった雅子様は、そこで天皇陛下からプロポーズされたのだそうです。
本来ならここで結婚への流れ…となるところですが、なんと雅子様はそのプロポーズを一旦保留に!
その後、天皇陛下の熱烈なアプローチの末、ご結婚となりました。
雅子様の前職は?
雅子様が皇室に入られる前は外交官として活躍されていました。
上記しましたが、大学時代に外交官試験に合格されての入省なので、それ以前の職というものはありません。
外交官になるための外交官試験も超難関です。
しかも当時はまだ女性のキャリア官僚はおらず、雅子様が初であったといいます。
メディアでも大きく取り上げられたようですよ。
雅子様は外務省時代、竹下登さん・中曾根康弘さん・海部俊樹さんらの通訳を務められるなど大きな活躍をされています。
雅子様の実家と家族について
雅子様の実家は目黒区南の洗足駅近くにあるそうです。
家族構成「父親・母親・雅子様・双子の妹」の5人家族。
父親の小和田恒さんも雅子様と同じく外交官…東京大学教養学部卒業、ケンブリッジ大学大学院修了したのちに外務省に入省されました。
外務省のトップであり、外務事務次官や国連大使、国際司法裁判所の裁判官としても活躍されてきたのだといいます。
そもそも小和田家は優秀な家系のよう。
雅子様、雅子様の父親だけでなく、祖父母も親戚も高学歴で教育者が多い家系なのだそうです。
雅子様の母親は、慶応技術大学文学部仏文科卒業後、エールフランス空港に勤務していたという経歴を持ちます。
父親が教育者家系に対し、こちら(母親の家系)は海軍軍人の家系。
曽祖父など先祖の方々には数多くの名だたる海軍軍人が存在しています。
さて、雅子様の妹さんたちですが、こちらは双子で雅子様の3歳下で「礼子さん」「節子さん」といいます。
礼子さん
田園調布雙葉学園中・高卒。その後、慶應義塾大学法学部学科を卒業しています。
スイスのジュネーヴ大学国際問題高等研究所大学院を修了したのち、ベトナムの国際連合難民高等弁務官事務所に勤務。
その後は、国際公務員として国際連合本部などに勤務いしていました。
節子さん
田園調布雙葉学園中・高卒。その後、東京大学文学部英語英米文学科に入学・卒業。
本田技研工業(二輪本部北米部)に勤務したのち、東京大学教養学部教育学科に再入学。
そののち、ハーバード大学大学院社会人類学専攻博士課程にて博士号を取得しました。
以上、雅子様の家族についてでした。
いやぁ…、雅子様だけでなく家族もすごいんですね。
雅子様の病気の原因と現在の状況は?
皇太子様と雅子様のご結婚は、世紀のロイヤルウェディングとして華やかにと執り行われました。
しかし、ご成婚後の雅子様に待っていたのは外交よりも「お世継ぎ問題」。
また、外交官として今まで培ってきたキャリアなど立ち振る舞いは皇室的には良しとされず、否定されることが続きます。
それはキャリアウーマンとして今まで活躍してきた雅子様にとってショッキングなことでした。
グローバルな環境に身をおいていた雅子様と、伝統など古き日本を重んじる皇室(宮内庁)。
その間にはいつしか深い溝が…これにより雅子様は適応障害と診断され長期療養に入られることとなります。
雅子様を追い詰めたのは他にもあります。
それは、世間からから受けた「男子を産めない」「国内には目を向けず海外ばかり行きたがる」「長期療養といって公務をさぼっている」などのバッシング。
誰もかれもが言いたい放題だった状況がそこにはありました。
そして、ここで皇太子様からこのような異例の発言が公に向けられます。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
本来このようなことを皇太子様のようなお立場の方が公に発言することではありません。
それにも構わず、はっきりと仰っていた皇太子様。
その様子は、「雅子様を守る」という皇太子様の覚悟が伺えたように思われました。
あれから15年以上の歳月が経ち…。
雅子さまの現在のご様子はというと、恐らく今も病と闘っていらっしゃると思われます。
少なくとも宮内庁などからは、完全に治ったとは公に発表されていません。
それでも2019年5月に新皇后として即位。
今、精力的に活動されている様子がテレビでもよく流れるようになりました。
雅子様のプロフィール
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諱 | 雅子(まさこ) |
旧 名 | 小和田雅子(おわだ・まさこ) |
生年月日 | 1963年12月9日 |
年 齢 | 55歳(2019年10月現在) |
印 | ハマナス |
結婚 | 1993年6月9日 |
まとめ
今回は、若い頃のファッションや外交官時代や経歴、実家情報などをご紹介しました。
雅子様の若い頃のファッションはとても素敵でしたよね。
キャリアウーマンらしい着こなしが外交官らしくて似合っていました。
外交官時代であったというだけでスゴイことなのに、経歴まですばらしくビックリ。
ご家族も素晴らしい経歴の持ち主ばかりで、これまたビックリの情報でした。
現在は雅子様の体調は気になるところですが、皇后となられた今…。
無理はせず、でも、何とか頑張って公務を全うして頂きたいと願うばかりです。