新たに皇后に即位された雅子様ですが、若い頃はとっても綺麗だったそうです。
新皇后になられた雅子様の若い頃の写真や画像など気になる部分をピックアップしてみました。
写真や画像以外にも雅子様のプロフィールなども一緒に調べてみましたので、ぜひ読んでみてください。
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目次
雅子様は美人で秀才、華麗なる経歴!生い立ちや出身大学について
雅子様が天皇陛下のお妃候補に挙がった時、雅子様はとてもすごい経歴を持ったいたようです。
将来有望とまで称されていたらしく、そんな華麗なる経歴を持つ雅子様についてまとめてみました。
雅子様、誕生
雅子様は1963年12月9日に東京で生まれました。
父、小和田恆(ひさし)さんと母、優美子夫妻の長女として誕生されます。
雅子様には下に双子の妹さんがいらっしゃるようです。
父は外交官と東京大学の講師、母はチッソ会長の長女というまさに上流階級の生まれなのです。
幼少期の生活
幼少期は父の仕事で1歳にしてロシアに旅立ち、アメリカで幼稚園時代を過ごされました。
その後、日本へ帰国後、美智子様と同じ雙葉小学校附属幼稚園へと通学されます。
美智子様の通っていた幼稚園には、母の希望で行かれたようです。
偶然なのでしょうが、すごいですね。
その後、田園調布雙葉小学校へ入学、こちらの小学校はカトリック系の小学校で良家の子女が通う学校でも有名なようです。
しかも小学校にして偏差値は69とずば抜けています。
幼少のころから雅子様はとても頭がよかったんですね。
高校2年生で再びアメリカ、ハーバード大学へ
高校2年生の時に再び父の仕事でアメリカへ向かいます。
アメリカ・ボストンではベルモット・ハイスクールに通い、最優等学生としての成績を収めます。
アメリカ政府が国全体の学生のうち5%の生徒に配る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」に選ばれるんです。
実はこのナショナル・オーナー・ソサイティーというのはアメリカの学生の5%しか入れないと言われており、日本人で入ったのはとても珍しいことだったんです。
雅子様は語学力も素晴らしく、英語だけではなくドイツ語も話せるんです。
幼少期に海外経験をしたおかげなんでしょうね。
そして大学は有名なハーバード大学へ入学します。
ハーバード大学では提出された卒業論文が評価され「マグナ・クム・ラウデ」優秀賞を受賞されたそうです。
これだけの経歴なら確かに天皇陛下に見初められてもおかしくなさそうですね。
女性初の官僚として外務省へ
ハーバード大学卒業後は日本へ帰国されます。
父と同じ外交官をめざし、外交官の試験を見事パス、外務省入省が決定します。
この当時、女性が外交官に入るのはとても珍しかったらしく、注目を集めていたそうです。
当時はバブル時代で、女性でも深夜までの残業が当たり前の時代だったそうです。
外務省に勤めて5年後に天皇陛下のお妃候補として世間で注目を集め始めたそうです。
まさに、雅子様のキャリアは当時のバブル女性の象徴ともいえるかもしれないです。
雅子様の若い頃とキャリアウーマン時代の写真
雅子様の若い頃の写真をたくさん探してみました。
とっても気になりますよね。
若い頃の写真やキャリアウーマン時代の写真や画像をまとめてみました。
ヴァンサンカンあたりで雅子様ファッション特集してほしい。
素敵すぎる… pic.twitter.com/sIfUFhzeG6
— けてぃ (@katyss) May 2, 2019
— 芸能情報.com (@com20402607) October 13, 2018
幼い記憶にあったけど、若い頃の雅子様がむちゃくちゃ綺麗だった✨
紀子さまも綺麗だけど、昔の女優のような正統派美人で、どんな角度、表情でも美しい☺️ pic.twitter.com/1UwVJirhme— Borderist (@UUal6iI1OhSqyZ8) May 1, 2019
https://twitter.com/lakelinephantom/status/1123576728083767296
雅子さまもめっちゃ綺麗だったんだよなー また美智子さまと違った美人
また「今も綺麗だ」って突っ込まれるかもしれないけど
とにかく当時は綺麗で口開けて見てた 彼女もあれからいろいろあった pic.twitter.com/9CXx34Gnv8— むきたむ (@RollingMikanz) May 1, 2019
どれもとても綺麗ですね。
今も綺麗ですが、若い頃も綺麗です。
キャリアウーマン時代は28歳頃だったようで、今と変わらぬ美しさがあります。
キャリアウーマン時代もとても綺麗ですね。
新皇后
髪をかきあげる外務省時代の雅子さま(皇室の方は人前で髪を触ってはいけないそうなので今では貴重な写真ですね) pic.twitter.com/5ilguMhHv7
— ナンシー・トルネアータ (@kitty__keiko) May 1, 2019
こちらの写真は今では貴重な写真だそうです。
新皇后雅子さま。この写真は見たことがない。髪型が若い頃のダイアナ妃に似ている。 pic.twitter.com/ByGMHAFWas
— 京橋博士 (@Dr_kyoubashi) April 28, 2019
これはとても珍しいです。
今とは違う髪形の雅子様です。
お料理中のワンショットなのでしょうか、とても印象的な画像です。
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雅子様のコート写真集&プライベート写真&学生時代の写真
雅子様はコート姿での出で立ちも多いです。
コート姿の写真やプライベートらしき写真、学生時代の画像などを集めてみました。
私とても美智子さまが好き。言葉選びやファッションのセンス、美貌、知性。こんなお姑さんではお嫁さん辛いだろうなーと思ってしまうけども、待って雅子さまってこんなかわいいの···!一歩引く控えめな女性像から、共に前に出る凛と強い女性像へ。本来の輝きを期待しています。きっとよい時代になるね pic.twitter.com/sZIuCDcacp
— nemui (@nemuimaruiz) April 30, 2019
こちらは美智子様の若い頃と雅子様のコート写真です。
ロングコートがとてもお似合いですね。
雅子様のご成婚後の写真と伏せられる前の写真
ご成婚後と病に伏せらる前の写真です。
雅子様のご成婚後は若い頃と同じようにたくさんの笑顔を見せてくれましたが、愛子様を出産された後、皇室での生活により病に伏せられた時期があります。
【ま】
雅子さま#50音順で振り返る平成のトレンド pic.twitter.com/3na7AvGXaH— 畑 恭平[FAKE STANCE] (@hata624gu) April 15, 2019
こちらはご成婚後の雅子様です。
とても美しいですね。
https://twitter.com/eva_tamannegara/status/1123250930353205249
こちらはご成婚後の新天皇陛下とのご成婚パレードの時の写真です。
白いドレスがとても綺麗ですね。
雅子様の笑顔もとても美しいです。
雅子さまの美しさったらもう…… pic.twitter.com/hPZDm7SbTp
— motomachi (@uewo930) May 1, 2019
こちらもとても美しい写真ですね。
若い頃と今ではあまりお顔立ちに変化がなさそうです。
若い頃も今もとっても美人ですね。
本来こういう無邪気で愛らしくて聡明で控えめで美しい人なんだよね、雅子さまって。
自分がニュースを見るようになった頃には雅子さまは病に臥せっていて、たまに姿を現してもあまり調子が良さそうじゃないのは子供にも見て取れた。
でも最近はお若いころの明るさを取り戻しているようでとても嬉しい。 pic.twitter.com/piYVs1swAE— mayuri (@yuiyuimayuri) May 2, 2018
若い頃の写真と伏せられる前の写真です
伏せられる前からあまり体調もよろしくなかったようで、公務にも出ていなかったようです。
素敵な笑顔がとても印象的です。
新皇后に即位されましたが、病はまだ治療中のようです。
あまり無理なさらずにしてほしいものです。
非の打ちどころのない雅子様
非の打ちどころのない経歴をお持ちの雅子様ですが、実は一度、天皇陛下からのプロポーズを断ったことがあるようです。
当時はまだ28歳ぐらいと働き盛りの年齢でしたし、外交官としても今後を期待されていましたので、雅子様自身も仕事は辞めたくなかったようです。
それでも天皇陛下の熱烈なアプローチに根負けしてご結婚されたようです。
経歴はもったいないですが、そんなにアプローチされた頷いてしまいそうですね。
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雅子様は天皇陛下のお言葉と皇室の説得で皇室入り&天皇陛下とのなれ初め
https://twitter.com/sas_since1993/status/1123431814633226243
雅子様は皇室へ入るのを当初は断っていたそうです。
キャリアもありますし、何より働き盛りの年齢でしたからね。
そんな雅子様を皇室へ入る決意をさせた天皇陛下の言葉があります。
「僕が雅子を一生、全力でお守りします」
「外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないでしょうか」
外交官を続けたかった雅子様にとって、国のためといわれれば頷くしかありませんね。
更に皇室関係者からも説得されたようです。
雅子様の外交官としてのキャリアをぜひ皇室でも生かしてほしいと言われたようです。
自分のキャリアや経験がいかせるならばこれはとても嬉しい申し出ですね。
天皇陛下との初めて雅子様がお会いしたのはスペインのエレナ女王の歓迎レセプションだったそうです。
当時は1986年と雅子様は外交官試験に受かったばかりだったようです。
レセプションで初めて天皇陛下と言葉を交わされたそうです。
当時の天皇陛下はまだ「浩宮様」と呼ばれていた時代だったようです。
このレセプションで天皇陛下は雅子様に好感をもたれたそうです。
その後、1987年に「浩宮様のお妃候補!」として日経スポーツが報道してしまい、雅子様の実家に大勢のマスコミが押し寄せたようです。
1988年に雅子様はオックスフォード大学へ留学、翌年1989年には大学にまでマスコミが駆けつける事態となりました。
これらのマスコミの対応に雅子様は「この件と私は全く関係ありません」「外交官を辞めるつもりはありません」ときっぱりと言い切ったそうです。
雅子様は自身でお妃候補を否定されたんですね。
1992年に天皇陛下のご意向もあり、雅子様の名前が再び浮上します。
その後、宮内庁関係者からの働きかけにより、1992年8月に雅子様は日本へ帰国、そこで天皇陛下と再開されたそうです。
そして同年の10月に天皇陛下からプロポーズされたのです。
ですが、この時雅子様はプロポーズを一旦保留し、同年の12月に返事をされました。
結果、雅子様はプロポーズを受けられたのです。
実はこれは初めてのプロポーズではなく、雅子様との婚約内定が決まる前に別の人との婚約内定が決まったいたそうです。
しかし、天皇陛下は雅子様の事が諦めきれずに再び告白されたんだそうです。
結婚の儀は高視聴率を記録
二人の結婚はテレビで生中継されました。
結婚の儀は1993年6月9日に実施され、この年は「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」ということで1993年6月9日限定で祝日となったのです。
テレビ局は一日中結婚の儀について放送しており、当時の視聴率はNHKでなんと77%もあったそうです。
これは国民のほとんどが見ている計算になりますね。
更にパレード終了後は79%とこちらもとてもつもない高視聴率を記録しています。
それだけお二人の結婚に注目されていたんですね。
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雅子様が皇室では生かせなかった能力、そして療養から15年経ち新皇后へ
外交官として積極的に海外への公務に励まれる雅子様ですが、実際は違ったのです。
皇室でも世間でも話題はいつもお世継ぎのことばかりだったのです。
天皇陛下の跡取り、しかも男の子を所望され続けていたのです。
公務へ積極的に参加すればするほど、お世継ぎはまだかと言われ続けてきたそうです。
海外生活で国際派といわれていた雅子様と皇室の伝統的な習慣の間にいつしかひずみが生まれてしまい、雅子様はついに適応障害と診断されたのです。
これにより雅子様は長らく療養生活に入られました。
ですが、療養生活に入ってもお世継ぎの話は消えることはないのです。
病に伏せられているので公務へ出ることは難しいのに、それに対して嫌なことばかり言われ続けてきたのです。
これに天皇陛下は「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という異例の発言を発表されました。
そして療養から15年以上の歳月が流れました。
未だ病と闘っていらっしゃる雅子様ですが、2019年5月に新皇后として即位されました。
これまで以上に期待は重圧となってのしかかってくるはずです。
令和の時代が雅子様にとって心休まる時代になってほしいと願うばかりです。
雅子様の病気はいったいなに?今はどんな状態なの?完治していないけど新皇后即位への心配の声
雅子様は2004年に適応障害と診断されました。
その理由は複数のストレスが原因だと言われています。
うつ病とは異なり、慢性的に不安や抗うつの状態であることを表すようです。
雅子様のストレスの原因は様々あります。
要因としてはやはり皇室として自由な外出もままならず、私的な楽しみより公務に励まれた結果、知らず知らずのうちに心が疲れて行ったのではないかと言われています。
更に、皇室に入り次の天皇陛下のお妃となるわけですから、お世継ぎ問題はどうしても避けられません。
男の子を所望され、無事に愛子さまを出産されましたが、女の子である愛子さまでは次の天皇陛下になれないことから、長年無理をしていたことが出てきたんだと思われます。
これまで多くのキャリア積まれてきた雅子様にとってこれらのことはとても重荷だったんだろうと推測されます。
現在はだいぶ病状も落ちつているそうです。
2018年に開かれた全国赤十字大会に皇后陛下と出席されました。
なんと15年ぶりの出席だったそうです。
秋の園遊会にも和装で出席されました。
徐々に公の場に姿を現すようになってきていますので、改善の兆しが見受けられます。
公の場に姿を現すことが増えてきた雅子様ですが、体調は完全に治ったわけではないようです。
体調に波があり、開会式には参加できても閉会式は不参加、ということも度々ありました。
今後、皇后陛下としてより多くの公務をこなさなければいけない雅子様ですが、国民からは体調を気遣う声が多数上がっています。
あまり無理をなさらないでほしいものです。
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雅子様の前職は?実家の家族はどんな人たち?
雅子様の前職は外交官です。
当時の外務省では初の女性キャリア官僚だったようで、そういった意味でも注目を集めていたそうです。
1987年には外務省の経済局国際機関第二課に配属されます。
翌年1988年にはオックスフォード大学へ外務省の研修留学されます。
在外中には第16回先進国首脳会議に半導体の市場開放問題や当時の海部俊樹総理の通訳の一人として活躍されていました。
1990年に帰国、同年の7月1日付けで北米局北米二課に配属されます。
その後は経済協力開発機構OECDに参加されたり、スウェーデン首相の歓迎夕食会に通訳として出席されたりしていたそうで、当時の夕食会の写真や画像にも雅子様の姿が映っていたそうです。
外務省へは5年10か月ほど勤務されていたようで、その後当時の皇太子さま、現在の天皇陛下とご婚約、ご結婚という流れになっていったそうです。
もし、未だに雅子様が外務省で働いていたらもっとすごいキャリアになっていたのかもしれませんね。
雅子様の実家
雅子様の実家は、父が外交官で国際法学者、母は結婚するまでエールフランス極東支配人秘書をされていました。
母の優美子さんが水俣病の原因企業であるチッソの会長の長女であることから、当初は当時の皇太子様のお妃候補は断られていたそうです。
雅子様には双子の妹さんがいて、礼子さんはユニセフの駐日事務所副所長、旦那さんは国際弁護士だそうです。
もう一人の妹、節子さんは結婚はされておらず、文化人類学者だそうです。
まさに絵に書いたような上流階級なんですね。
雅子様の性格は?
雅子様の性格は詳しくは出ていませんが、お妃候補と騒がれていた時代にきっぱりと自身の口から否定されたり、勉学にかなりストイックな感じから真面目な印象は受けます。
更に雅子様は動物が好きなようで、過去にカブトムシなどを皇室で飼われた経験もあるそうです。
今も皇室内では犬を飼っていますので、動物好きだということがわかります。
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雅子様のMVP写真と新元号は雅子様に注目!
雅子様のファッションは若いころからとてもセンスがいいと評判が高いです。
そんな中で、個人的に雅子様の写真や画像からお気に入りのを見つけてみました。
令和元年の朝。
天皇陛下、皇后陛下と同じ時代を生きられるのがしみじみとうれしいです。
その血筋が尊いとかではなく、お二人の生き方や努力、知性、家族愛、他者への優しさをずっと見てきたからです。
特に雅子さまの女性としての苦悩やそれに負けなかったことを見てきたからです。 pic.twitter.com/6yZfFCAf4i— かもめみつばち (@maw_mawni) April 30, 2019
雅子様、というより天皇陛下ご一家の写真です。
雅子様のパンツスタイルは貴重な気がします。
いつもスカートの履いているイメージだからですかね。
愛子さまと天皇陛下との仲睦まじいワンショット、雅子様の笑顔がとても綺麗ですね。
写真や画像でも今と昔では変わりがない雅子様、とってもお綺麗です。
新たに元号、令和を迎えました。
今後も雅子様に注目していきたいですね。
ファッションもそうですが、病を克服するのはとても難しいですが、ありのままの雅子様を見たいと切に思います。
雅子様の若い頃が綺麗すぎる!画像写真をプロフィールとまとめてみた!まとめ
雅子様についていかがでしたか。
女性初の外交官として将来有望株とまで称された雅子様の経歴はとてもすごいものです。
家柄もそうですが、雅子様自身もとてもすごいと言わざる負えません。
若い頃のファッションも綺麗ですし、どの写真、画像を見ても今と変わらない美しさです。
新たな令和時代、雅子様にとってよりよい時代になっていってほしいです。
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